My Heart
〜心の扉〜

 走りながら思ったことや、感じたことを書き留めました。


人生はマラソン?

 「人生はマラソン」なんてよく言われます。苦しい場面を乗り越えていく場面や予期しない展開が「人生、山あり谷あり」にかけてそう言われるのでしょう。 でもマラソンはあくまで「人生みたいなもの」であり、「人生ではない」と思うのです。すばらしい記録を出したり、成績をのこした選手がそのまま同じ人生を送るわけではないのです。
マラソンの記録は出せなくとも、活力あるいい人生をおくることはできるし、すばらしい選手だからといってすばらしい人生が約束されるものではないのです。ですから、記録や順位というのは競うための指標であり、楽しく走り続ける「市民ランナー」にとっては、仕事の合間をみつけて、自分で計画を立てて、自分の与えられた状況の中で走ることを継続することもまた、すばらしい記録をだすのと同じくらい価値のあることだと思うのです。
 実業団で記録を目指す世界、目立たなくとも日常生活の中で走り続ける世界、両者は同じ走るにしてもまったく違った種類のものであり、優劣をつけるべきものではないと思います。
「人生はマラソン」というのであれば、たとえ速さは遅くとも、立派なマラソンのような人生を送ることはできるのです。
私はそんな人達を応援し、自分もそうありたいと思う一人なのです。


広さと深さ

 中学校、高校、大学と進むにつれて、より強い選手を目の当たりにして、その都度「上には上がある。」「広い世界だ」と感じてきました。いままで広いと思っていた湖からいきなり広い海の沖合いにつれてこられたかのような驚きと恐怖を常に感じていました。
 泳いでも泳いでも陸地が見えない。そんな広さを感じてきました。
最近年齢を重ねるに従って、そんな「沖合い」には行けなくなりましたが、たとえ遠くなくともその「深さ」を感じるようになりました。ただ目に見える「広さ」ではなく底知れぬ「深さ」・・・。
 果てしない広さを感じながらも、潜っても潜っても底が見えない深さ。何の世界でもそうでしょうが、「広さ」と「深さ」があるということを感じます。


出会うことの大切さ

 走るようになってから、自分に一つの世界ができました。家族とか職場とかそういう誰にでもある人間関係に加えて、「走る」世界の中で、多くのことを経験しながら多くの人と接することができました。時には大きな転機になるような出会いがあったり、今の自分の方向付となる出会いがあったりしました。
 どんな目的で走るにせよ、ゴールは違うかもしれないけれど、利害関係なく「がんばれ!」と声を掛け合うことができることも、うれしい出会いです。
「走る」という世界にこんな多くの出会いがあることは、それだけですばらしい世界です。


自立した選手になること

 実業団の選手は、すべてがそうではありませんが、時間と場所という環境を与えられ、メニューをこなし、栄養、トレーナーなどの環境を与えられる。従って、記録を出すことは当然求められるわけですし、そうでなければならない「プロ」の世界であるべきだと思っています。日本の場合は諸事情から海外の選手に比べて中途半端な状況がありますが、それでも「走る」という環境を与えられている以上、それなりの結果を残さなければならない。そうでなければ「捨てられる」厳しい世界であることを認識しなければならないでしょう。
 一般的に「市民ランナー」と言われる選手は、いかに走るかよりもいかに走る環境をつくるかが大きな問題です。練習時間は睡眠時間を削ってでも捻出する。そのために食事も自分で研究し工夫する。時には通勤ランで着替えを背負って走らなければならない。それでも好きでやってる人達です。優劣はつけられません。しかし、こうした状況の違いを超えて同じスタートラインに立つ以上、実業団の選手は市民ランナーに負けてはいけないのです。また、市民ランナーも記録を目指す意志がある以上は実業団だからといって遠慮する必要はないのです。
 考えてみれば、これは競技の上だけの話。人は一生走っていることはできないのです。いずれは走れなくなる。走れなくなってからの人生は長いのです。
いずれその時が来た時、「競技者」という枠から「人間」という幅広い範疇の中で生きていく上で、自立できていなければいけないと思うのです。
 それぞれの立場の厳しさを認識し、自分の人生をマネジメントしていく「意志」と「精神」を忘れてはいけない。ただ記録を追って行くだけの選手ではなく、自分の生活を自分1人の力で管理し、自分自身で動機付けのできる選手、決して他の力に甘えてはいけない。そうでなければ強い選手になれるはずはないし、強い人間にはなれないのではないでしょうか。
 日々「叱咤激励」の毎日です。


なぎ

私達は、生まれてからすでに大海原にボートを浮かべて漕ぎ始めています。まだ岸から離れて間もない時期はいろいろな人達に曳航されながらも、いずれはその手から離れ、自らの手でオールを漕いで行かなくてはななりません。
 とにかく漕がなくてはいけない。やがてぼんやりと岸が見えてくる。そこに向かって漕いで行く。
しかしながら、大きな波が襲ってくる。ちっぽけなボートに乗る私達は、呑まれまいとして一生懸命耐えるのです。そして格闘の末、どうにか乗り切っていく。いろんな波は、自分の意志とは関係なく容赦なくやってくる。そのたびに懸命に闘うのです。
 けれど、時には自分を押してくれる波もある。そのときはじっと身をゆだねる。
こうしたことが、幾度となく繰り返されるのです。ランナーにとって、走るということは、大海原にいる私達を浮かべてくれる。そうボートのようなものかもしれません。
 でも、実は本当に注意しなければならないのは、波のない穏やかな「なぎ」の時なのです。
多くの波と闘いながら漕ぎ進む。やがて風が止み、波がおさまる。漕ぐ手を休めて、しばらくそのまま浮かんでいる。
そんなときに、自分がその場に浮いていると思ったら、実は「潮」に流されていることになかなかな気がつかないのです。
大波は直接私達を襲ってくるけれど、静かな「潮」の流れは気がつかない。よほど注意しないとまったく違う方向に流されていることに気がつく。
潮の流れに最後まで気がつかずに、違った方向に流されていくのかもしれない。
 穏やかだと思われる「なぎ」のときこそ、最新の注意を払わなくてはいけない時だと思うのです。


自分自身を知るということ

 スタートラインに並ぶ時「よし、頑張るぞ」と思う。レースが中盤にさしかかる時「まだまだ」と思う。そして自分が集団から離れはじめたとき「ここで離されてたまるか」と思う。そうしているうちに今度は「いや、ここで離れても後で挽回するぞ」と思う。さらに「離れても自分のペースで頑張ろう」と思う。そして、集団から離れて「今日は、この辺でいいか。次は頑張ろう」と思い、ゴールが近づいてくると「あともう少しの我慢」と思う。
 こうしたことはよくある心理的な表情であると思います。この中に一つの大きな葛藤があります。勝負の分かれ目になる葛藤。自分を納得させようとする自分。この時が俗に言う「自分との闘い」なのかもしれません。
 ここで自分に勝つとか負けるとか。その都度、葛藤に身を投じることになるのですが、勝つとか負けるとかいうこと以前に、スタートラインからゴールに至るまでの自分の心の動きは紛れもなく自分自身であることは間違いないことを覚えておきたいのです。
 普段の練習で「負けるものか」と思う。これは大事な動機付けになる。けれども「負けるものか」という心の裏側には必ず「負ける」ということがあると思うのです。「負ける」ことを否定することが「負けるものか」という気持ち。 「勝つ」ということは「負ける」ということとセットで表裏一体。
 どんな弱い気持ちも強い気持ちもすべて「自分自身」なのです。ある一つの感情を否定したり肯定したりするという葛藤があるなら、まずはすべての自分自身をしっかり認め、レース中においても自分から離れてみて自分を見つめてみる。
 弱い自分、必死に抵抗する自分、あきらめかけている自分、その状況ごとに顔をみせる自分すべてが紛れもない「自分自身」であるということを受け入れてこそ、どの自分を選択するかを自分で選択できるようになるのだと思います。


原点は何か

 高校・大学時代、「記録を出したい」「**大会に出たい」「駅伝選手に選ばれたい」ということが走る目的だったし、それをエネルギーに走ってきました。しかし、学生という身分を離れ、一人きりで練習し、レースに出るようになってからかなりの年数を経ました。
 最近は、「記録を出す」とか「レースに勝つ」ということは、走ることにおいて非常に希薄な動機だと感じています。五輪を頂点とする競技的なマラソンから離れて久しいからかも知れませんが、自分の力がある程度見えてきたら、学生時代の原点では、もう走り続けることはできません。
 サボっても誰にも怒られないし、何も強制されません。雨が降ったり、寒かったり、暑かったりすると休みたくなる。また、日常生活の中でいやなことや辛いことがあれば走りたくない。
 こんな気持ちは誰でも一緒です。逆に楽しさや嬉しさは、黙っていても走る動機になりやすいのです。
楽しさ、嬉しさと同じように苦しさや悲しさも原点にすること。自分をとりまくすべての感情や背景をすべて原点として燃焼することのできる精神を身につけたい。
そのときは自分にとって「マイナス」に思えることですら原点にすることができる選手。
それは、走ることに限らず、このことを生きていく上での「原動力」としていくことができれば、きっと生涯立派な「ランナー」となれると信じているのです。


自分色

 長い間、一つのことに関わっていると、さまざまな人や考え方に出会います。「走る」ことひとつにしても、人それぞれが違った入口から入り、違った経路を経て成長して行きます。
 その過程において出会った人や考え方に大きく影響を受けることがあります。
 「すべては模倣からはじまる。」 まずは指導を受けたり、お世話になった人達。お手本となる選手の模倣から入ることが多いのではないかと思います。子供が親に似ることもその一つだと言えるでしょうか。
 そのうち、**選手は**大学系列とか、その種類が分かれてくるのです。昔流にいえば「流派」とでもいうのでしょうか。
身近なところでは、政治の世界で**党**派とか**グループとか言われる区分が存在します。
 私自身も**系に属するのだとは思いますが、時としてこのグループは、政治的に動いたり、反目しあったりするのです。それはスポーツの世界でも同じこと。  
 私はこのことを最も好まない人の一人です。そのグループに属していれば恩恵を受けることもあろうし、安全かもしれない。ただし、そうした派閥的な動きに身をゆだねることで身動きがとれなくなる。
 走ることにおいても、誰の影響を受け、誰に指導を受けようが、1人の選手として人間として「自分という色」をもっていないといけない。
 一つの「流派」の継承者となるのも決して悪いことじゃない。
けれど、やはり自分流はもっていないと受け継いだだけのものは、やかんを火から下ろした時のように、最初は熱くともやがて冷めていく。
 常に「自分色」でありたいと思うのです。たとえ他者から評価されることはないとしても。


「あきらめないことの大切さ」と「あきらめることの大切さ」

 三十数年前、中学校から一緒に走ってきた仲間を失いました。私達は長距離走に取り組み始めてから「苦しくても最後まであきらめない」という言葉を合言葉に走りつづけてきました。これは長距離選手にとっての教科書でもあります。
 現にだめだと思われたことも最後まであきらめないで頑張っていると、思いがけない御褒美が転がり込んでくることもあるのです。 それは偶然ではなく必然でもあります。
私の後輩の一人も浪人して頑張って目標の大学に入学し、目標の職業である教師の職につくことができました。
 彼は私とともに長距離選手とし同じ中学校・高校で駅伝チームを構成し、それぞれの大学でも走り続けていました。「最後まであきらめない」という教えを実現していったのです。
 しかし、就職して数年。彼は仕事に悩み、苦しみ。結局自ら命を絶ってしまったのです。ご両親のお話では、最後まで自分の力で頑張り、解決しようとしていたようです。彼は最後まであきらめずに状況を好転させるために耐えて闘っていたのです。
 今から思うと、彼は最後まで途上で「あきらめる」ことを許されない長距離選手だったのです。
大きなショックを感じました。「どうして・・・」 彼は、まだまだこれからという24歳での選択でした。
 今でも実家に戻る際には、必ず彼の墓石に手を合わせています。

 今は、自分で結論を出す前に一度立ち止まって、場合によっては「あきらめる」「辞める」ことを選択する勇気が必要だとも思っています。それでも努力したことや取り組んできたことは決して色あせずに残っていくもの。次の何らかの機会に活かせるもの。それは長い目で見たら「あきらめる」のではなく「財産として貯めておく」もの。
 ただ、目の前の目的にまい進する若者には先が見えない。見る余裕がない。だからこそ周りから手を差しのべてあげる。それができなかった私自身を一番悔いています。
「よく頑張ったね。まだまだ次があるよ。」それでいいんです。


航空公園の桜

3月1日。もう冬も終わりです。春の暖かさが恐る恐る覗き始めています。
自分が走るのは朝と夜。春の兆しを感じながらも冬が未練を残しているかのように寒さはまだ残っています。
家から走り出して航空公園に入ると、周囲をとりまく車のエンジン音がうそのように消えてひっそりとしています。深呼吸をすると空気が留まっているようでもあります。
 もうすこし我慢すれば、この公園も多くの人で賑わい、走るところもないくらいの人が繰り出してくることでしょう。
それにしても、竹箒を逆さにしたような裸の桜の木が、もうすぐ華やかな衣装を身に着けるなんて信じられないくらいひっそりとしている。
 そっと耳を澄ましてみると、静寂の中に木々の声が聞こえる感じがします。
思えば不思議なものです。春の一瞬に華やかな色と香りを放つ桜の木も、その時までは、裸でじっと待っている。あまりにもはかないその開花の瞬間のために、長い長い時間をひっそりと過ごしている。
 きっと今年も花見客の場所取りなど引っ張りだこなんだろうなと思いながらも、桜の一生が不憫にも思えてくるし、その我慢強さにも感慨深くなります。
人間、一生のうちで「開花」する時ってやはり一瞬。それよりその開花を信じてじっとしていることが多い。
でもこの我慢がなければ開花しない。このひっそりとした長い時間に、目に見えない地中にしっかりと根を張って、いろいろなものを吸収して、開花の力を蓄えてるのでしょう。
自分も、しっかりと根を張っておかないといけない。一瞬の開花に一喜一憂しているだけじゃ、次の開花はないんだろうな。たくさんたくさん根を張って、どのくらい力を蓄えることができるかによって、決まるんだろうな。と思いつつ、JOGするのも良い勉強です。


長編小説

 「趣味は何か」と聞かれたら、「読書」なんていうでのが当たり障りのない一般的な答えでしょう。
 思えばこれまで記憶に残った本は、前書きから入り、読み進んでいくうちに「次はどうなるのかな。」とかその場面を創造しながら、わくわくしたものです。
そして読み終わると、言いようもない余韻が心に残り、しばらくその本の世界に入りこんでしまう経験は誰でも持っているのではないでしょうか。
 けれど、時間的余裕もなく心に余裕がなくなると本から離れ、手軽に手に入る「雑誌」で間に合わせることが多くなります。写真や見出しで読むのが楽なのです。これも「読書」なんでしょうか。
気がついてみると、まず表紙の見出しに引かれ、もしくは目次の中で読みたい部分だけを拾い出して読み、暇な時間があればその他のページを読む。そして、「雑誌」の役割は終わり・・・と言うわけです。
 最近、そのようなことが実に増えてきているような気がします。たとえば「友人」、人間ですから1人1人さまざまな「ページ」を持っています。けれど、知り合ってからしばらくして、「目次の中から自分の気にいったページ」だけを読んでしまう。
その「選んだごく一部のページ」だけで付き合う。とても楽な関係です。
 ものごとにはさまざまな側面、いわば「ページ」があります。それは読む人の解釈次第でさまざまな意味を持ったりします。でも、自分の気に入ったページしか読まなければ一つの物語はできてこないし、何の感動もない。「読み捨て」。
 どんな平凡な場面もやがてはクライマックスに繋がる。この流れがわかってこそ、感動があり、年月を経ても心に残るのです。
「マラソン」は何巻にもわたる長編小説です。じっくり読みたいものではありませんか。


小川の流れ

かつて子供の学童保育主催のキャンプに同行し、小さな川のほとりのキャンプ場で楽しく過ごしました。それにしてもよく言われるとおり、川の上流は、さらさらと流れ澄んでいて川底が手にとるように透き通って見えます。
 この川がやがて合流し大きな川へと繋がっていくのかと思うと不思議な気持ちになるものです。
そのときを思い浮かべたのが、ある本で読んだ「流水腐らず」という中国の諺です。
 さらさらと流れている水はいつも澄んでいて、流れが止まればやがて濁り、腐ってしまうという意味だと思います。
私たちが練習し、ある程度の結果が出ると「満足」します。しかし、この「満足」が危険です。「満足」は心を止めてしまう。しかも、いつまでもこの「満足」に固執しようとする。
 自分が何もせずにじっとしていて、今の位置に留まろうとしても、時間が流れ、周囲が流れていく以上、常に同じでいることは許されません。
物事は常に流れている。そして心も流れていなければいけないと思うのです。
 剣道の試合で竹刀を合せて止まっているように見えても、時間も心も常に流れている。
「流水腐らず」。小さな流れでも良いから常に流れていたいものです。


1本のネジ

 子どもがようやく自転車に乗れるようになった頃、ある日突然チェーンが外れてしまい。すぐに直してやると、また暫くしてチェーンが外れてしまう。
補助輪付の小さな自転車なのですが、そんなことを繰り返しているうちに、買い替えなければならないかな。なんて思っていたのですが、休みの日にじっくりと自転車を見てみたのです。
 するとチェーンのカバー近くのネジが1本外れていたのです。試しにネジを入れてみると、なんとチェーンが外れなくなったのです。1本のネジがなかったためにバランスがおかしくなっていたようです。
 自転車が走るのに「こんなネジ1本で」という気がしたのですが、逆に考えれば自転車が走るためにはこの「ネジ1本」も大事な部品なんですね。
単独では意味をなさない小さな部品も全体においては欠かせない部品。
 決して無駄な部品はないということでしょうか。
 マラソンについても、休養のJOGや朝練習、そして故障に至るまで決して「無駄な部品」はないと言えます。
故障についても、走れなくとも走ることの喜びを再認識させてくれたり、思わぬ休養をさせてくれたり、決して無駄なものではないのです。ですから故障で走れなかったりして腐ることも自信を失うこともない。
 時として走っているだけではわからないことを教えてくれるのは「1本のネジ」かもしれません。


順境と逆境

 2002年の日本シリーズは巨人が圧倒的勝利で終了しました。そのシーズンを通して注目されたうちの一人に桑田投手がいました。
 彼の素晴らしさは、長い不調の中から先発として復活したこと。自分の信念をひたむきに信じ、貫いたこと。それが世間一般での評価だったと思います。決して選手生命の長くない投手というポジションの中でも長い現役生活を続ける彼を見ていると実に考えさせられることが多くあります。
 彼は期待されて巨人に入団し、背番号18というエースナンバーを背に、期待に違わぬ活躍をしました。しかしながら、そうした時期に野球以外の事で騒がれ、一変してダーティーなイメージが定着してしまいました。そして故障、手術・・・。中継ぎ・・・。敗戦処理・・・。それでもあきらめずに自分の信念を守った。これが彼の世間的に賞賛されるストーリーです。
 「順境の中での挫折、逆境を克服しての復活」
  自分にあてはめてみても共通して言えることがあります・・・。
順境とは、実は自分にとっては決して順境ではなく、気がつかないうちに道からそれている。いわば逆境となっていることが多いのです。反対に逆境とは自分をある道に導いてくれる。間違ったコースを修正してくれる。逆境こそ順境であるのかもしれません。(もちろん国語的には間違った使い方かもしれませんが・・・)
 この一見逆説的な考え方から、順境であると思っている時こそ注意が必要であること。そのときは逆境と思えても、それを受け入れ冷静に物事を見つめれば正しい道が見えてくる。そういう意味では順境であると解釈することが、さまざまな状況を乗り越え、昇華し、自分を育ててくれるのではないか。桑田選手を見てそう思ったのです。


伝えること

 かつて国体で、真舩君という青年が縦走競技で福島県代表として個人2位、総合優勝という成績を収めました。彼は大学を卒業して2年目の若者ですが、大学時代はマラソンを目指し、私とはコーチと選手という関係でした。
 卒業後、山岳競技の縦走という種目に転向し、華々しいスタートをきったのです。(現在では同競技は国体種目としては行われていないようですが)
 彼は大学に入学して程なくして、高校球児として身長180cmを超える恵まれた体格をもって、長距離を志し、私の元に現れ、練習に打ち込み、3年生で早くもつくばマラソンに入賞し、東京国際マラソンのスタートにたったのです。残念ながら駅伝に力を入れる大学ではないので、ほとんどマンツーマンの練習でした。
 思えば、私もコーチを職務としていない一般の職員でしたので、午後6時過ぎに私の仕事を終わるのを待って、寒い冬の夜の暗闇の中での練習。走れなくて泣きながら走った夜。順調に見えたマラソンの調整中の突然の入院。彼にとっては試行錯誤と失敗を繰り返しながらの学生時代でした。
 偶然にも、所沢マラソンで私の優勝記事を見て、学生だと思い込んで私の元に現れ、卒業前には、その所沢マラソンで優勝を飾っての卒業でした。
 私が、彼にしてあげられたことはほんの小さなことです。技術的なことはともかく、「教える」というにはあまりにも貧弱で、彼が私を見てどのように思ったかはわかりませんが、指導者というにはまだまだ貧粗なものです。
 ただ言えることは、私の経験や想い、考え方を「伝えた」にすぎないのです。何事も結果を得るためにはいくつかの道筋と過程があるものです。私には近道でも彼には遠回りかもしれない。だから「これはこう」という単純なものではないのです。彼は彼の近道を自分で見つけなければならない。私にできることはその見つけ方を伝えることだけなのです。
 彼は、あくまで自分の道を自分で切り開き、自分の道を探し、自分で見つけていくことになったのです。
今では、地元福島に戻り、トレイルランニングの第一人者として、普及に努め、スポンサーを集めて大会を企画するなど、いわばフロンティアとなったのです。そして自らの子どもを自分流に育て、確固とした地を築きました。これからが楽しみです。
 私は指導者というより、ひとりの伝道者でありたい。そう思うのです。


 62歳になる今、もう46年以上走ってきました。かなりの練習をこなしてきましたが、そのつけがまわってきたのか、35歳過ぎから体調を壊したり、足を痛めたりすることが多くなりました。
 そして、今では常に足のどこかが痛くて、階段の上り下りも手すりをつかまなければならない程です。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのでしょうか。若さにまかせて記録を狙ってきた気持ちは、まだ心のなかにかすかに余韻として残っていたりします。けれど違うのは「健康」ということを意識するようになったことでしょうか。私のような選手は、とかく若い頃の感覚だけが残っていて、時々その錯覚に陥ることがあります。けれどその都度「腹八分目」を心がけるようにしています。
 いつまで走れるかはわかりません。けれど「走る」ということは一つの表現方法であり、きっと走らなくても形を変えて走り続けるのかななんて思う今日この頃です。