第1章・第2章で、練習計画を作成する上でのいろいろな要素の考え方や組み立て方の考え方を述べましたが、こうしたことは主に監督、コーチ、顧問の先生が考えなければならない仕事です。しかし私のように一人で練習をしなければならない環境にある選手は自分自身で考えなければなりません。もちろん指導者がいる場合であっても選手自身が理解しておかなければならないことです。実行する自分自身が全体の設計図を知らずには、パフォーマンスにつなげることはできません。
このページは、そのことを踏まえて実際にパフォーマンスに結びつけるための考え方を提示することにします。もちろん私自身の考えなので、同意、反論いろいろあると思われますが、それはそれで考えるきっかけになれば幸いだと考えます。
材料を集める 自分自身がドライバーになること 最高のパフォーマンスを発揮するために
練習という要素 内的条件と外的条件 総合的パフォーマンス
オリンピックや世界選手権が終了すると、何の種目においてもチャンピオンがどこでどんな練習をしたとか、何を食べてどんな生活をしているかなどが取りざたされ、同じようなことを試みる人も多いのではないかと思います。
しかし,選手それぞれが、個々の考え方と取り組み、環境の中でスタートラインに立ち、その結果が優勝であれ、入賞であれ、その選手が十分にパフォーマンスを発揮できれば、それはすばらしい取り組みだったと思うのです。
シドニーオリンピックの時に高橋尚子選手がかなりの高地でトレーニングを重ねた。山口衛里選手は国内で調整した。こうした取り組みの違いは個々の考え方の違いであり、選手が十分に理解し消化したならば、いずれもすばらしい取り組みだったと思うのです。しかし、結果として多くの要因があったにせよ、成功者の取り組みについては十分に評価に値するものがかならずあります。こうしたことを自分なりに焼き直してみて少しでも取り入れていこうとする姿勢もまた大切です。
さて、多くの長距離・マラソン選手が日々厳しい練習をこなし、スタートラインにつくことは容易に想像がつきます。しかしながら、私たちすべてに好むと好まざるとを問わず、そうした機会が与えられているとは限りません。
身体的要素はもちろんですが、学生、仕事を持っているランナー、家庭をもつランナーなど多様な環境野中で取組む選手にとっては、毎日の食事の栄養素、カロリー計算や筋肉の専門的マッサージ、そして練習時間、場所などにおいて必ずしも恵まれているとは言えないはずです。こうした中で最高のパフォーマンスを発揮しなければならないこと。つまり、身近で調達できる「材料」を駆使することが出来る限りの最低限の条件となるはずです。
テレビの料理番組で舌鼓を打ってみても、いざ自宅の台所で試みようとしても腕もさることながら、多くの材料と時間は一般家庭ではなかなかできないものです。しかし、ありあわせの材料でも頬のおちるような温かい美味しいご飯は作ることができるのです。自分自身の材料で工夫して、そして心をこめて作る喜びこそランナーの最高のパフォーマンスの原点だということをはじめに覚えておく必要があると思います。
先に練習計画にまつわる考え方を述べましたが、それは「設計図」という言い方をしました。そこで、実際に遂行していく上で、目的地に向ってひた走る選手自身がドライバーであり、自分という車体をどう運転していくのか、つまり「設計図」=「MAP(地図)」として位置づけることにします。
さて、地図を与えられた私たちはどのように運転すべきなのか?実際の運転についても個々にスピード派や安全運転派などの個性をすでに持っています。その個性はルールに違反しないならば、個性として大事にしてもよいでしょう。しかし、基本的に目的地へ行くという最終目標を持った以上、個性を生かしながらも無事にたどりつくことこそが最高のパフォーマンスです。
私たちは、フロントガラス越しに前方を見据えながら進みます。しかし、それだけではないはずです。がむしゃらに突き進むことも時には必要かもしれませんが、実際そうではありません。そう、運転席に座った私たちは、前方の道路状況だけでなく、実に多くのものを見ながら走らせているのです。
まず、目の前にあるスピードメーター。公道を走る場合には周囲との調整をはかりながら、スピードを出します。そしてエンジンの回転数を示す俗に言うタコメーター、起伏などではエンジンの回転数を見ながらギアチェンジをするはず。もっとも慣れればエンジン音で判断するようになるのですが・・・。そして、ガソリンの残量を示すメーター。エンジンの温度を示すメーター。この4つは常に視覚の中にあるはずです。
さあ、車体を管理するこれらの計器類だけでなく、同じように大切なのはサイドミラーやルームミラー。計器類に加えて、これらを見なければ大きな事故につながる。
このように実に多くの情報を収集し、調整しながら車体をコントロールし、公道での安全を図っているのです。
ランナーが、選手として社会的にも存在していくためには、これらの幅広い運転技術が必要なわけなのです。そして、一般のランナーは公道を走り、学生や実業団でオリンピックを走るようなランナーはサーキットを走る。土俵が違うのです。一般道は歩行者もいれば障害物もある。それに比べサーキットなどでは歩行者はなく、走るためのスペースが確保されている。
こうしたそれぞれの環境の違いの中で自分を最高のドライバーとして最高のパフォーマンスを目指すのです。
さて、パフォーマンスといっても具体的ではありません。ここでの解釈を以下のとおり示しておきます。
まず、わかりやすくするために図を作成しました。考える上で大きく「練習」と「条件」の2つに分けて考えます。「練習」と「条件」というのは、語彙力の不足から手頃な言葉が見つからなかったためにそう呼ばせていただくこととします。それらをさらに2つに分けて「練習」のうちの@量とA質。「条件」のうち@内的条件とA外的条件としていますが、かなり大雑把な区分です。これらの要素を統合して一つのパフォーマンスとして捉えています。前項の「ドライバー」としてのたとえからすると、図で区分した4つが車のメーターということになります。もちろんそれぞれ独立しては成り立ちません。あくまで考える上でわかりやすくした大きな区分であり、その要素の中にはさらに細かい要素が複雑に絡み合っているのです。
ここで言う練習とは、ずばり走ることです。このことについては、第1章で詳しくお話しているので細かくは割愛させていただきたいと思いますが、まず「量」(V)と「質」(Q)の2つに分けています。一般的な分け方です。何が量で何が質かということについては、ここでは言及しません。これらは、すでに渡された地図(練習計画)によって決められている部分がありますが、おさらいをすると、量と質の関係は実に微妙で、離れて存在するときは水と油のようにはじけるのに練習によって結びつけていくことによってお互いに引き合い、融合するのです。喧嘩ばかりしている男女も時間をかけてつきあうとやがて結婚・・・・という関係によく似ています。そうなると結びつきは強いものになる。ただし、永遠に続くとは限らないというところも似ています。
「量より質」なんてよく言われますけど、量をおざなりにして質ばかり追い求めても、決してうまくいかないのです。なぜならば長距離やマラソンは「量」の競技だからです。もちろん質も大事。つまり「量より質」でなく「量と質」なのです。こうした考えは第1章を読まれたあなたには周知のとおりです。
専門的にはどうかわかりませんが、ちょっと理屈っぽく言ってみると、練習の成果(Result)は量と質の相乗効果。つまりR=VQが成り立つようです。そして同じRについて見ても、取り組み方で割合いや意味合いが大きく変わるのです。どういうことかというと、10という結果(R)は量2×質5の場合もあれば、量5×質2という逆もあるのです。従ってレースでの結果も、どういう割合いから導かれたのかを知っていないと、次のレースへの取り組みを誤る可能性があるのです。
よりよい結果、つまり10以上の結果を出すためには、量と質という2つをレベルアップすることです。そして、最終的にマラソンにもっていくのか、トラックに持っていくかによって、質と量のいずれを重点的にアップしていくのかが決まります。これが大雑把な考え方です。
以上のことは、第1章でも触れています。
ところで、もう一つ見逃してはいけない点があります。それは、練習の産物である「疲労」です。量と質を考える場合に、意識しなければならないのは量による疲労と質による疲 労は違うということです。
結果から言うと量による疲労は「根がある」のに対し、質による疲労は「枝葉のほこり」なのです。つまり、マラソンの疲労とトラックレースの疲労を比べてみてください。よくわかると思います。ただ、疲労しているといっても、疲労を生み出したものが何であるかによって、対処しかたが変わってくるということが言えると思います。
以上のように練習において「量」と「質」という2面性を練習効果や疲労などの側面から意識し、ひとつに纏め上げていく過程が「トレーニング」ともいえます。
内的条件
ここで「条件」ということは「走る以外の要素」を指しています。また、内的条件といっても、大雑把な分け方であり、その中身は実に複雑です。そうしたことを踏まえて、わかりやすく要点をつまんでお話することとします。
内的条件でまず思い浮かぶのは「心」です。昔から「根性」とか「情熱」とか盛んに言われるように、身体を動かす原動力は「心」なのです。そして、その中でも一番大きな要素は「動機」ではないでしょうか。強い「動機」を持つ者ほどより厳しい練習を継続的にこなせる。これは周知のとおりです。この「動機」を持つに至るには、まずは「勝ちたい!」「有名になりたい!」こうした自己主張の芽生えがやがて、「こうなりたい」「ああなりたい」という自己表現へと変わっていく。そのためには走るだけでは不可能なのです。いろんな人間関係のトラブルや失恋、失敗そして別れなどの負の経験から、成功、合格、感動などの正の経験を体験していくうちに日常生活の中でおこるいくつもの事柄を動機にしていける。「勝つ」というだけの動機では、希薄なのです。
そして、私が目標としているのは「喜・怒・哀・楽」すべての感情を「動機」にできる「心」なのです。
もうひとつ、内的条件とは自分の身体的条件をも指します。つまり、体が成長したとか内臓が強いとか筋肉がついたとか・・・。主体的な条件とも言えるかもしれません。練習に付随して発生する疲労を除去して、内臓や筋肉を最高の状態に保つ。このことは、すでに何度もお話し、聞き飽きたといわれるかもしれませんが、それだけ重要なことなのです。マッサージや食事など日常生活すべてがパフォーマンスの条件となるのです。
外的条件
私たちが前に歩こうとすると、いずれかから風を受けないわけにはいきません。立ち止まっていてもほっといてはくれないものです。それが外的条件です。それは、何らかの形で私たちを悩ませてくれる。時には練習や内的条件、つまり心までをも揺さぶる最も悩ましい要素なのです。
まず、私たちが所属する社会、組織、つまり学校、会社、家庭、仲間。すべてが外的条件となるのです。そこから生まれる経済的背景、社会的背景、家庭環境、交友関係など、おおきな意味での「環境」といえます。強い選手はこの環境がある程度整ったところにいますが、一般ランナーは、ランナーたる所以を維持するために外的条件とも格闘しなければならない宿命です。
この外的条件は、先の内的条件にも大きな影響を与え、表裏一体といってもいいでしょう。
選手によっては、生活の厳しい状況。つらい状況の中から、それを原点に頑張る。ケニアの選手が大学への奨学金や家族の生活の保証、安定のために厳しい練習に耐える。まさにケニアという社会が動機を与えてくれる。外的条件と内的条件がある意味かみ合った結果かもしれません。
練習環境、レース環境も外的条件といえます。トラックもなくロードでの練習を余儀なくされる。多くの条件がそろっていても、コースの条件、起伏・天候などの外的条件のために実力を発揮できない。こうしたことも外的条件になりますし、これを克服するために内的条件や練習も決定されることもあるのです。
これまで、ほんとに簡単にお話しましたが、一つのパフォーマンスを達成するために練習と条件という要素を意識し、それぞれを克服しレベルアップすることにより、大きく結果を伸ばすことができるのです。逆にしっかり練習したのに結果がでないとき、走る以外にも原因がありうるんだということを念頭におかなければならないのです。シドニーオリンピックでの高橋選手の金メダルは、練習のレベルアップはともかく、内的条件(メダルを取るとい高い意識と動機)、厳しいコースを意識したレースでの外的条件の克服、さらにはすべてのレベルアップを可能にしたスタッフ。すべての要素が他の選手を上回ったといえるでしょう。
一般のランナーはとかく走ることだけに集中しがちです。でも1日のうちで走っているのはせいぜい2時間。走るだけで得られるものはごく小さいのです。(もちろん走る競技である以上は基本となりますが・・)
実は走ることに対して走ること以外の要素が大きく影響するのです。ただ単に**K走ったとか、**時間走ったということ以前に最高の練習をするための最高の生活。最高の練習と最高の条件を目指さなくてならないと思うのです。